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第11話 桜田伝説その1

2002年11月05日 00:00

第11話 桜田伝説その1

桜田伝説 その1

座間高校南西の田の中に小さな標識が立っています。ここには3人の女性の悲しい話が伝わっています。今回はその紹介で始まりますが・・・じつはまめこぞうはここで大胆な仮説を立ててしまいました。ちょっとうきうきなんですがまずはかたい話、読んでみてください。

解説塔:塚には小さな解説塔が建てられています。
    バックは座間高校です。


座間古説(ざまこせつ)から

鎮守(ちんじゅ:鈴鹿神社のこと)の北に渋谷高間(しぶやたかま)という者がいた。幼少の時父母に死なれ、成人した後、妻子を持った。この娘を小桜姫(こざくらひめ)という。その母が死んでしまったので後妻をもらい、また娘、小柳姫ができた。

ところが高間は突然に世を捨て、髪をおろして諸国修行の旅に出てしまった。そのとき後妻は自分の思い通りにしようと思い、家老と相談して「小桜は先妻の子、我が子小柳を立てたい」と家老に頼んで小桜を夜のうちに絞め殺させ、「やのふけ」に沈めた。(やのふけとは「谷の深」と書き、座間高校あたりの深い淵のことだった。いわゆる三日月湖だったと思われる。)

妹の小柳はこれを聞き知り、「ああ、なんてひどいお母様なの!お姉さまをどこへ追い出したの?聞けばやのふけに沈めてしまったとのこと。このことを父上が知ったら母はもちろん、私をも憎まれることでしょう。」と嘆き悲しんだ。

そして自分も姉様と一緒に黄泉(こうせんと読ませているがよみのくにのこと)の旅につこうと(つまり死んでしまうということ)みずからやのふけに身を投じて死んでしまった。

話は変わってこのあたりの相模川は牛池(現在の入谷駅)あたりを流れていたがこれに土手を作ろうとしてもなかなかできなかった。そのときこの話の「まつ」というままははを人柱(ひとばしら:堤防や橋などの下に村から選ばれた人間を生き埋めにし、その魂の力で建造物を守ろうとしたもの。若く美しい娘が犠牲になることが多かったという。)として土手を作った。その後川は西に流れを変え、その間に村ができた。

この土手の北を古川といい、そこに牛のようなけだものが住んでいた。これはまつの生まれ変わりだというが、死んだ後に川原に埋め、そこに大日堂を建てた。(西中学校の東側)

その後高間は帰ってきたが「瀧の下」(たきのした:現在龍源院があるあたり)の菩提寺に来てままははがしたことを知り、不憫(ふびん)な子らを嘆いて供養した後その死んだ場所に塚をつくって桜と柳を植えた。

座間古説の疑問

〔後妻とままははのまつ〕
この話は座間市でももっとも有名な悲劇的伝説で、「神奈川の昔話五十選」にも選ばれています。しかしよく読むと不思議な面があります。前半のいかにも浄瑠璃か歌舞伎のような演芸で日本人に好まれそうな話の部分に対して、突然話が土手の人柱のことに変わります。しかも前半は後妻とだけしか呼ばれない女性が、なぜかここでまつという名前で、しかも後妻ではなくままははという肩書きで呼ばれるのです。これは全く別の話だったのではないでしょうか?

〔人柱は刑罰か?〕
この文章にはまつがどういういきさつで人柱になったのか書かれていません。刑罰としての死刑ではない可能性も出てきます。

〔人柱になったもう一人のまつ〕
このやのふけのすぐ近くに全く違うまつの伝説があります。海老名市に伝わるものですが、こちらのまつは美人の生娘で、村のために堤防工事の人柱となりのちのちまでも感謝されて供養塔まで建てられています。しかし時代はずっと後のことで江戸時代、寛文(かんぶん)二年(1665年)とはっきりわかっています。200年へだてて同じ名前の女性が同じ場所で人柱になると言うこともあり得ないことではありませんが、ひょっとして2つの話が混同しているのではないでしょうか?

〔牛〕
牛のようなけだものとありますが牛とはどこが違うのか具体的な説明はありません。奇形の牛だっただけなのかもしれませんが古川の中に住んでいたような書き方から推測して水牛だったのでしょうか。それとも太った河童?はたまた日本版エレファントマン?不謹慎かもしれませんが、奇形だった人はかつては捨てられ、このような生活をしたかもしれません。これをまつの生まれ変わりとするのは古くから仏教説話によく見られる因果応報(いんがおうほう)のパターンです。罪を犯して死んだ親が牛になってこき使われているというような話は日本霊異記(にほんりょういき)や今昔物語集(こんじゃくものがたりしゅう)によく登場します。やはり日本人がとても好むものです。
これが桜田事件とは関係ないものであることは明白ですが、当時の人の思想としてはおおいに関係あったわけです。

〔座間古説に同じ話がまた出てくる〕
なぜか同じ話がもう一度出てくるのですが、こちらは短く、奇妙なことに上記の疑問だけに答えているかのような書き方です。「まつにとって小桜ひめはままこである。まつは実の子である小柳を立てようとして小桜姫を絞め殺し、やのふけに沈めたことによるとが(罪)で人柱にされた。その後まつは牛に生まれ変わり、古川に住んだ。だからここを牛池という。その牛は本当の牛ではない。牛と呼んではいるが指が5本に分かれていて頭の毛は体を半分隠していた。この牛があがったところに大日堂を建てた。」
これでいくつかの疑問は解けます。まつは刑罰として人柱になり、しかも悪いことをした報いで想像するだに恐ろしい生き物として生まれ変わり、人々の記憶に永く残ったのです。そして現在座間市の歴史を語る書物のほとんどにはこちらの話が載せられています。
しかし!なぜこの話が座間古説の最後の方に再掲されているのでしょう?いかにも「とってつけた話」です。私まめこぞうは強い疑念を抱きます。あとからいいわけを書き足したのでは・・・・?

〔後妻を殺したのは誰か〕
この伝説を扱った本の中には「後妻は周辺の人々によって捕らえられ・・」というような表現があります。しかし座間古説には後妻を捕らえた人も死刑にした人も登場しません。ひょっとしたら自主的に人柱になったのではないかと思えるほどです。
たとえ死刑になったのだとしてもここでちょっと疑問に思いました。後妻といえども武士の妻が、主人の留守中そう簡単に死刑になるのでしょうか?土地の人々が武士の妻を殺せるでしょうか?それとも裁判権を持った地頭か何かが決定を下したのでしょうか?そうだとしても地頭に他人の家の内部のことを裁く権利があったのでしょうか?やはり主人の帰りを待つべきではないでしょうか?
江戸時代とは違ってこの時代の武士にはルールなどないも同然、たとえば道を行く旅人を捕らえて庭先で弓矢の的にするなんて言うのは普通だったそうです。敵でも何でもない生きた人間を的にして殺してしまうのです。それでも罪になりませんでした。それなのに家の中で親が子を殺して即死刑?
まるで急いで消してしまわなければならなかったかのようです。陰謀を感じてしまうのはテレビドラマの見過ぎだからでしょうか・・

他にも疑問があります。〔年代がはっきりしない〕
話の前後関係から見て室町時代の中頃であろうと思われますが、古説に扱われた話のほとんどは年号が明記されているのに、なぜかこの物語は長々書かれている割に年号がありません。
龍源院の由緒(ゆいしょ)では高間が屋敷を寺にしたのは寛正(かんしょう)二年(1461年)ですが、皇国地誌(こうこくちし)には永享(えいきょう)中とあります。永享なら1429~1441年です。

〔場所が違う〕
座間古説では渋谷高間が帰ってきたとき屋敷は「瀧の下」にありますが、龍源院の由緒によればこの屋敷は「丸山下(まるやました)」にあり、高間がそこを寺にしたずっとあと、弘治(こうじ)年間(1555~1558年、秀吉が信長に仕えだした頃で、桶狭間より前)に瀧の下に移されたことになっています。これは高間より100年もあとのことです。

〔高間はなぜ出家したか〕
出家の理由は世をはかなんで、とよく言われますが、桜田事件より前にすでに世を捨て修行の旅に出たのはなぜでしょう。

私まめこぞうはこの話を以前別のところで書いたとき、これらの疑問には一切触れませんでした。しかし0462.netに書くにあたってもう一度地名と年代を見直したときドキッとしてしまいました・・・すべてが結びついて疑問に答えることができるからです。
そこでいよいよ大胆な仮説発表!
小桜姫は渋谷の実子ではなく、護王姫の娘だったのでは?戦禍に追われ非業の死を遂げたと伝わる護王姫のことは以前お話ししましたね。あの護王姫です。

今まで誰もそんなことは口にしていないと思いますが・・・すでに発表されていたらごめんなさい。決定的な証拠もないのですが次回はその状況証拠を説明いたしましょう。


小桜の塚(右写真):現在でも田の中に1坪ほどの塚が残されています。ここは当時人も近づかない不気味な沼地でした。

まめこぞう

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